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横尾忠則さんが好きだわ。

インドのakikoさんにはまっているmimiyoです。

最近横尾忠則さんの本を通勤中に読んでいる。何回も読んでるはずなのに、すっかり忘れている。というか読むたびに気づきがあるんだな。

私は最近凄く忘れっぽい。最近じゃないな。昔からだわ…。

これはもしかしたら何かの障害なのかもしれないけど、悲観せずに今を生きているんだってポジティブに考えてる。

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岡本太郎さんは、一回会った人をすぐ忘れるみたいで次に会っても忘れていて始めてあった人みたいな対応をするというような事を本で読んだ(うる覚えだけど)

私も人の顔が本当に覚えられないので失礼な態度をしてしまう事が多々ある。いまだに同僚や上司の名前を覚えれなかったりする。岡本太郎さんみたいな天才とは違うのだから日常生活を普通に過ごしている派遣社員としてはちょっとダメな感じ。(そんな自分も受け入れるのだ)

かなり私の好みの美人とか美男だったら覚えれるのに。

私の旦那は外国人だけど、私よりよっぽど近所の人の顔覚えているもの。だから旦那はいつも近所の人をどこかでみかけると、きちんと挨拶をするのだけれど、私は近所の人かどうかがわからないから挨拶できないのよね。

私はお年寄りは全部同じにみえちゃうから。外国人だったらなおさら同じにみえる。

話がそれてしまいましたが、横尾忠則さんの本を今はじめて読むかのように読みかえしている。

横尾忠則さんは、超有名なアーチストなんだけど、宇宙人とか天使とかと交信しているというのを、かなり昔から堂々とお話されている。スピリチュアルという言葉が聞きなれない頃からガンガンスピリチュアル系のアーチストなのです。

私は横尾忠則さんの絵画は好きなわけではなかったのだけれど(デザイナー時代の作品は好きだけど)アートに対する考え方がとても大好きで本を昔から愛読している。

アートとスピリチュアル(オカルト?)的な事って切っても切り離せないような気がする。

チェネリングし降りてきたもの描くっていうのが横尾さん的なアートなのです。
だから横尾さんは直感で絵を描いてらっしゃるのです。

現代アートがコンセプトありきのコンセプチュアルアート(今の流れはわからないけど)で説明を受けて「ふ~ん」ってなるような作品が多くて、私も美大で先生にコンセプトをもっと考えて!なんて言われたのだけれど、何か違う気がしていた。

横尾忠則さんは例えば滝の夢をみたら、ひたすら滝を観に行って滝の絵を描いたりするのです。愛猫の絵も沢山描いているみたいで最近の本でオノ・ヨーコさんにこれはアートだって言われたっておっしゃっていてすっごくその絵が観たいのですが、それは作品として描いてないみたい。

横尾忠則さんの本の中には普通にハイヤーセルフとか前世とかそんなスピ的な言葉があふれかえってるのです。

今読み終えた本が「私と直感と宇宙人」という本なんだけれど、その中にもUFOとはテレパシーによって交信できるというのをジョージアダムスキーに教わったとか(私がアダムスキー全集買ったのは横尾忠則さんの本を読んだからだったかも)テレパシーってチェネリングの事なんだろうか?その事は「導かれて、旅」って本に書いてるらしいので、この本は持ってないので今度買って読んでみよう。


私と直観と宇宙人 (文春文庫)








導かれて、旅 (文春文庫)









あと横尾忠則さんの前世はニギハヤヒノミコトらしい。ニギハヤヒノミコトって今でこそ並木大先生のチャネリングで名前を聞くお方ですが、この本1997年の本だからかれこれ20年前に横尾忠則さんはこういう本を書いてらっしゃるのです。

このニギハヤヒノミコトが現れたのはさらに10年前に三島由紀夫の霊が横尾忠則さんの前世がニギハヤヒノミコトに拘わる魂だと見知らぬ霊能者が伝えてきたらしいのです!?三島由紀夫さんは生前横尾忠則さんと親交があったので、その時は「へぇ~」で終わったらしいのですが同じ名前を全く無関係なチャネラー3人に言われたので親近感を感じてる。ただそれだけっとこの本でおっしゃってます。

横尾忠則さんのとこには色々なチャネラーが現れるみたいなんですよね。横尾さんのところにあらわれるチャネラーの方々は本物っぽいからそんな人にみてもらいたいなぁ…。

この「私と直感と宇宙人」の中の第2話の自己を想うの中に情からの自立っていうタイトルの章があって、確か並木大先生も1000人統合の時にそんなような事話していたような気がする。

この本のなかでも、「彼(横尾さん)はいつも「たった今」という過去でもない未来でもない「現在」が全てであるという必要性を感じていた…感情に左右されやすい彼はこの現在性を見失う事もあった。人は時に過去を郷愁したり未来を夢想したりするものだ…彼が求めるものはもっと自立したある種の普遍的な力だった。勇気を奮い立たせる力だった。言い方をかえれば情からの自立だった。情が彼の世界を見えないものにしているということに彼は少しづつ気づいていた・・・情は人を捕らえて離さない磁力性がある。それに対して会いは人を自由にして解放させる力がある…彼は長い間情を日本人の美徳のように思っていたところがあった。また日本の美意識には情は切り離せない要素だと認識していたようだ…もし彼が本気で自由を手にしたいのなら彼にとって情は最悪だ」っというような事を書いてらっしゃる。

あと今読んでいる「僕は閃きを味方に生きてきた」という本の中の情による磁性化というタイトルの中でも横尾さんは情と愛情について「人間の想念の情がこもって、物が磁性化しちゃう。自分の圏内にいれてしまう。それは愛情じゃなくてただの情なんだ。愛情はいいけど、情はダメ。愛情は自分のほうへ取り込まない。その存在を認めて自立させている。情は自立させないんだよね。みんな自分のほうへぐっと取り込んでしまって自分のエゴの中に置いて相手を自分の一部にしちゃう。親が子供に怒るのは、愛情というより情の場合が多い。だから磁性化してしまう。子供を自分の所有物にしている。磁性化というのは欲でね。相手を虜にしてしまう。だから情はよくないわけ。情をかけるというのはいいようだけど、相手をがんじがらめにしてしまい、その上、自分も生かさないで殺してしまう事になるからね。相手にとっても迷惑なんですよ。愛情というのは相手をもう少し突き放すというか存在を認めるものだと思う。恋愛でも愛情だと思っているけど、実は情だという場合が多い。情は結婚したらますます強くなるしね」

こういう情に関する章が気になる私は旦那に対しても愛情ではなく情なんだろうなと思っている。旦那というよりは子供みたいに思ってるし。子供のように手がかかるし…。

並木先生も情について相手にとっても良くないっておっしゃってたものね。相手を信頼してないってね。自分にとっても良くないのだよ。

この本の中で他にも興味深い事が書いてあって、お米は人間に愛情を植え付ける食べ物なんだそうです。お米はなんとニギハヤヒノミコトによって宇宙からもたらされたんだそう。お米はもともとそういう食べ物なんだそう。私はパン好きパスタ好きなんだけれど、なんだかお米がすごく食べたくなってきた。全然愛情不足だからね。

あとアカシックレコードについても書いてらっしゃっていて宇宙というのは大きな美術館であり博物館であり図書館であり一種のマザーコンピユーターで人間にとってありとあらゆる知恵や知識などの情報が貯蔵されている。人間というのは本来この宇宙コンピューターと繋がっており宇宙意識を手にすればそこから必要な情報はいくらでも与えられる仕掛けになっている。そういうものの存在と活用を自分の中でプッツリ切ってしまっているから、直感より理性に頼るんだよね…今生だけの考え方とか思想とか概念を持とうとしてやたら知識の収集にこだわっている…そうして勉強したものの中からしか発想しないから常に他人を意識している(他人軸?)…そうではなくて、いっそ宇宙を味方にしちゃえばいい。というか友達にしちゃえば、アカシックレコードから発信される直感によって、「ああ、そうですか、はいはい」ってやるのが僕のやりかたなんだ…だけど直感がきても「ちょっとまてよ」とか「直感がきたけれども価値があるものなのか。これをそのまま表現したら人が笑うんじゃないか」とかね。みんなすぐそういう第3者の目で自己採点してしまう。その時にその人の持っている知識とか思想ですり替えてしまうわけ…」
このアカシックレコードって章まるごと書きたい内容だけれど、もうこの辺にしておこう。
横尾さんが恐れがあると直感に従うことはできないと思うよっとこの章の最後に書かれているのだけれど、まったくもって私はそうだわね。その恐れを並木大先生のワークで外すって事だわね。

本当に横尾忠則さんの本の内容って今スピリチュアル系の先取りな感じするわ。

でもウィキ三島の死をきっかけにその後の15年間をオカルティズムや神秘主義まで包括した精神世界に傾斜してゆくが、それらが大いなる錯覚だったと気づきって書いてあったのが気になったんだけど…

最近の横尾さんは83歳なんだけれど、私の中で横尾忠則さんとオノヨーコさんと瀬戸内寂聴さんは死なないんじゃないかと思っていたのだけれど、最近横尾さんのツイッターをみていると健康状態があまりよろしくないみたい。瀬戸内寂聴さんも何かのテレビで最近はあまり動きたがらないみたいな事をみたしオノヨーコさんも健康状態が良くないという噂を聞くし…。

こういう人達も普通に(普通よりは若々しいけど)歳をとっていくのをみると、やっぱり波動とかなんとか言っても結局肉体は物質で老朽化していき、アダムスキーの本の中の宇宙人とかアミのように若いままで生き続けるというのは無理なのかぁ…と波動は意識で変えられるというけれど、顔のシミひとつも意識で消せないのに癌を意識のちからで治すなんて事はできんわなって思ってしまうし、肉体をもったまま死なないっていうのも無理なんだろうなと思えてくる。

だからこういうスピリチュアルな世界って大いなる錯覚なのかしら…っというこの不安を手放すんだよね。今は外しやすい時なんだしね。

本当に私ってこういうスピリチュアルの世界を信じきれないところがあるのだよね。自分が高次の存在としっかりつながっているという実感もないからかもしれないけれど。

老いる事、病気する事も全て経験する為にきたのだよっとか意識は死なないって言われてしまったら何も言えないけどね。

いやいや…安心、ほっとする、リラックス…

オノヨーコさんのツイッターもホッとするお言葉が多いな~。

横尾忠則さんのドキュメンタリーのYOUTUBE↓↓↓


横尾忠則さんが生きてるうちに会いたいわ。横尾忠則美術館に行ってみよう。このYOUTUBEの動画を以前にみた時は思わなかったんだけど今回みたら横尾さんの作品が凄く観たいと思ったのよね。私が変わってきたからかな。

そうそう前ブログに書いたバケタンなんだけれど、いつもテレビの部屋に置いてあるのだけれど。瀬戸内寂聴さんがテレビでお話されている場面が映った時に青く光ってた。あと私の好きなテラスハウスのルカ君が出てきた時も青く光ってたな。

何故かホラー系の映画とかドラマをみると赤く光ったりする。めったに自主的に光る時はないんだけれど、バケタンはどういう仕組みかわからないんだけれど凄いなぁと思った。

横尾忠則さんもそうだけれど、オノヨーコさんも瀬戸内寂聴さんもできれば今のまま私より長生きしてくれないかなぁ~。


ぼくは閃きを味方に生きてきた (光文社文庫)



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